小牧ワイアンドット友好市民の会
The Komaki Wyandotte Friendship Association

 友 情 の 架 橋 
The Bridge of Friendship between the Sister-city Citizens

Official Publication of the Komaki Wyandotte Friendship Association

第20号 2001年5月19日発行

 

ワイアンドット市の選挙結果

 ワイアンドット市では4月2日の月曜日に市長、市議会議員、特別職の各選挙が行なわれました。今回の市長選は現職市会議員のクリスティ−ヌ・ニウィアロスキ−氏と元市会議員レオナ−ド・サブダ氏の一騎討ちでサブダ氏が当選しました。市議会議員選挙では6議席を10人の候補者で争いました。その結果パット・サトカ、ジェ−ムズ・ディセ−ナ、ジョニ−・コラコウスキ−、マ−ク・パ−ヤスキ−、タッド・ブラウニング、トム・タルト−の各氏が当選し、ドナルド・シュルツ、ジョン・シャ−ツ、ゲ−リ−・キングそして現職のサム・パラマラとマ−ティン・シムカスの各氏が落選しました。
 特別職選挙では財務官にアンドリュ−・スウィキ−氏がクリストファ−・ブロ−氏を破り再選され、資産税査定官にはセアド−・ガレスキ−とコリ−ン・キ−ンの各氏が争いキ−ン氏が同じく再選されました。さらに書記事務官にも現職のウィリアム・グリッグ氏が再選され特別職には3人の現職が全員当選しました。
 今回は投票率が高く、前回と同様に小牧市でもお馴染みのサトカ氏が最高得票数を獲得して、プロ・テム(市長が留守の時に代理を勤める職)を引き続き務めます。またジェ−ムズ・ディセ−ナ氏が今回2番目に多くの得票数を集めて市議に当選しました。
 ディセ−ナ氏は今年70才で、1958年にワイアンドットの市議会議員に初当選して以来、ワイアンドット市の市議と市長、ウェイン郡長官、ミシガン州政府の上院議員などを歴任しました。その後連邦下院議員選挙に民主党から共和党に鞍替えして出馬して、民主党の長老で現職のジョン・ディングル議員に挑みましたが惜しくも落選しました。その後は最近までミシガン州政府の運輸長官をしていたベテラン政治家です。
 ディセ−ナ氏と小牧との関係は深く、1963年3月4日に小牧市とワイアンドット市の姉妹都市提携のための市議会議決書に市長として締結のサインをしました。その後、1987年に再び市長に当選して1996年に連邦下院議員選に出馬するまで5期9年間務めました。ディセ−ナ氏は「今回、多くの人が市長選出馬を勧めてくれたが、市会議員として市民のお役に立ちたいと思い出馬した」と述べています  今回ラリ−・ステック前市長は家族との時間を大切にしたいとの理由で出馬しませんでした。しかし、ある市民は「ワイアンドットを襲った大雨で、多くの家に浸水した時の対応の遅さに批判が高まっていたのも、出馬を見送った原因の一つではないか」と言っています。

ワイアンドット市役所       

選挙結果(任期2003年4月迄)
市長: Leonard Sabuda (新任)
市議会議員:
Todd Browning(新任)
James DeSana(新任)
Johnny Kolakowski
Mark A. Paryaski
Patrick J. Sutka(筆頭市議)
Tom Talluto (新任)
総務官: William R. Griggs
財務官: Andrew A. Swiecki
資産査定官: Colleen A. Keehn(女性)

  
 
ワイアンドット市の人口減少

 10年ごとに行なわれる昨年の国勢調査でワイアンドット市の人口が28、006人に減っている事が分かりました。アメリカには日本の様な戸籍や住民登録などの制度がなく、人口は10年ごとの国勢調査でしか正確な数字が分からないので、各都市は地方税の納税者数などから毎年の人口を類推しているのが現状です。ちなみに、ワイアンドット市の人口は1960年の43、519人をピ−クに減り続けていて、10年前の1990年の国勢調査では30、825人でした。


ワイアンドット市立ウィルソン中学生小牧訪問団
「受入れ準備室」参加ボランティァの募集

 小牧ワイアンドット友好市民の会では毎年小牧市国際交流協会(KIA)と協力して小牧市の姉妹都市であるワイアンドットの市立ウィルソン中学校訪問団(8〜10名)の受け入れ事業を行なっています。今年はマギ−・シャロン先生が引率者としてコ−ル教育長から任命されており、6月下旬に生徒を連れて小牧市を訪問する予定です。本年度から市民の方に広く参加を呼び掛けて準備室を作り、受入れの計画段階から参加して頂きこの事業を実施して行きたいと考えています。

日 時:6月9日(土)午後1時〜3時(以後の日程は当日決定)
場 所:小牧市味岡センタ− 会議室
 ボランティァ活動の内容は受入れプランの作成、ホストファミリ−の募集、オリエンテ−ション、懇談会、懇親会などの準備と実施、訪問中学校や関係団体との連絡、訪問者の世話、バスの添乗とガイド、通訳、関係書類の作成と翻訳、ウィルソン中学校とのEメ−ルまたは電話による連絡などです。このボランティァ活動を通じて、小牧市の姉妹都市であるワイアンドットへの理解を深めて頂ければ幸いです。お手伝いしていただける方は電話または、葉書、FaxEメ−ルで住所、氏名、電話番号、Eメ−ル・アドレスなどを記入の上、6月8日までに下記宛に送って下さい。
問合せと申し込み先 Eメ−ル:kwfa@hotmail.com (申込は終了しています)

     ワイアンドット市訪問団 

 友好市民の会は社団法人小牧青年会議所と合同で5月17日から22日迄ワイアンドット市に7名の訪問団を派遣していす。今回は我々の姉妹都市交流をより活発なものにする為、サブダ新市長、サトカ市議会議員、学校区の責任者コ−ル教育長、ケル・ウィルソン中学校長、小牧青年会議所の姉妹会議所であるワイアンドット青年会議所の会員、友好市民の会の新事業で両市民による電子文通事業・Eペンパル・クラブのボランテアなど多くの関係者との会談や懇親を予定しています。
 Eペンパル・クラブ(下に説明)の立ち上げや今回の訪問の手伝いをして頂いているサトカ議員からの連絡によると、新市長のレオナ−ド・サブダ氏は我々の姉妹都市交流に対して非常に協力的であるとのことなので、訪問の成果が期待されています。


現在準備中の新事業

 友好市民の会では現在、姉妹都市のワイアンドットと共同で英語とインタ−ネットを使った全く新しい「イングリッシュ・ワ−クショップ」と言うプログラムを計画しています。
「イングリシュ・ワ−クショップ」は英語の読む、書く、話す、聞くなどのコミュニケ−ション能力の向上を目指し、「英語を習う: Learn English」のではなく「英語で習う: Learn in English」を基本コンセプトとしていきます。 
 その中の一つは「イングリシュ・フォ−ラム」で英語による討論を通じて英語のコミュニケ−ション、特に「聞く、話す」という能力を高めるのが目的です。英語がある程度(英検2級程度)話せる人か、本気でこの能力を高めたいと考えている人で週一回、姉妹都市のワイアンドットの事や最近の話題などからトピックを選びディスカッションします。
 もう一つは、ワイアンドット市民のボランティアと電子メ−ルで文通します。当会の専用のメ−ルアドレスで文通するので安心です。コンピュ−タ−の操作方法や英語のEメ−ルの書き方を知らなくても、ワ−クショプで習いながら文通する事が出来ます。
 ボランティアが文通の相手をしてくれますので安心して英文のEメ−ルが覚えられます。慣れてきたらワイアンドットの文通相手を紹介します。このプログラムの参加者を近日中に募集をしますので、詳しくは後日の「お知らせ」を御覧下さい。

ワイアンドット市の歴史
 先住民ワイアンドット族(1)

 今回よりワイアンドット市の歴史について連載します。最初の章ではワイアンドット市の名前の由来になった先住民のワイアンドット族について書きます。   (文:渡辺賢二)

第一章

 ワイアンドットの家族の銅像

 アメリカ大陸では旧石器時代の遺蹟が発見されていないので、太古には人間が住んでいなかったと考えられている。しかし沖積世末期、すなわち第4氷河期の終り頃、いまからおよそ2万数千年前になるとアジアの各地から、人々が獲物を追って当時陸続きだったアメリカ大陸に移住を始めた。それ以後、数千年から1万年の間移住は続き、氷河期が終わって氷が解けて海面があがりベ−リング海が出来た頃、すなわちアジア大陸とアメリカ大陸が分断された1万年位前に移住はほとんど途絶えたと言われている。その後旧大陸との交流が完全に失われ独自の文化が展開された。
 現在アメリカでは、アメリカ大陸に住み着いたこの“最初のアジア系移民”の人々を、インディアン(コロンブスが最初にインド人と間違えてこう呼んだ)と呼ぶのは正確では無いと考え、The First American「最初のアメリカ人」又は Native American [先住アメリカ人、またはアメリカ先住民](無論アラスカのエスキモ−やハワイ人等を除く)と呼ぶ人が多い。もっとも、彼等自身の中にも自らインディアンと呼ぶ者もいるし、そう呼ばれる事を好む者もいるようである。
 ミシガンにも紀元前1万1千年頃から人間が住み始めたらしく、デトロイト周辺には紀元前約9千年に人間の集落が既に存在していた事を証明する道具や食料、住居等の生活の跡が発見されている。アメリカ大陸に移住した頃の先住アメリカ人は農耕をまだ知らなかったので、定住する事なく移動しながら漁撈、採集、狩猟等で生活をしていた。これら有史以前の人々はもちろん日本人と同じモンゴロイド系に属する。
 その後ヨ−ロッパ人が15世紀末頃にやって来るが、当時の中南米には1千万人を超える先住民がくらしていにも関わらず、北米にはその十分の一の百万人を少し超える程の先住民しか住んでいなかったと言われている。北米の先住民は、大きくまとまった一つの国家や文化を形成したり、中南米のアステカ王国やインカ帝国の様な文明を持っていた訳ではなく、240から500位の部族が大きな統一体を作る事もなく暮らしていた。20余りの言語と300近くの方言があり(但し文字は無く)、一つの言葉で通じる範囲で、いくつかのグループが緩やかに結びついている事が多かった。しかし、中には遠くの部族と交易をする部族もあり、そうした場合簡単な手話やジェスチャ−で他の言葉を使っている人達とお互いに意志を伝えていた。
 ワイアンドット市のあるミシガン州ウェイン郡ダウンリバ−地区(デトロイト川の川下に位置する為)にも、ヨ−ロッパ人が来る何千年も前から人が住んでいた事が考古学の研究で分かっている。彼等は動物の皮で作ったテントや小屋に住み、漁撈、採集、狩猟等で生活をしていた。何百年もの時を経て彼等の道具も進歩して、槍を飛ばす道具や魚の罠、さらにボ−ラ(玉が付いた投げ縄で狩りをする道具)などを作る様になり、さらに丸木舟を作って、何百キロも離れた他の部族と交易をする者もいた。
 その後、今から2000年位前になると、採集経済の段階から農耕を中心とする生産経済へと移行していき、彼等はトウモロコシや野菜の栽培と保存の方法を覚えたので、菜園のそばに定住出来る様になり村落をつくって暮らす様になった。そこで彼等は壷やトウモロコシの製粉器を始め機織り機、動物の皮を伸ばす道具、そして樺の木の皮でカヌ−等を作る様になり、さらにバスケットを編んだり、宝石加工や簡単な金属加工を始める者も現れた。しかし彼等は18世紀の始めにこの地域にやって来たワイアンドットの人々とは全く別のグル−プだった。


  10th Annual Charity Walkathon!

 ウォ−カソンは在日米国商工会議所中部支部(ACCJ)、名古屋インターナショナル・スク−ル、プロスポ−ツ選手、芸能人等が協力して福祉施設へ募金の為に毎年行なっている、在日アメリカ人によるこの地方最大のイベントです。
 名城公園や名古屋城周回コースを歩いたり、アメリカ人のプロスポ−ツ選手や芸能人のサインをもらったり、アメリカ旅行等が当たるくじ等をアメリカ人と一緒に楽しみながらチャリティーに参加しませんか。チケットには募金の他にイベントと抽選会の参加費用、Tシャツが含まれています。

日時:2001年5月27日(日)午前9時〜午後1時半
場所:名城公園   
チケット代: 大人は二千円  子供(12才以下)は千円 (申込は終了しています)

(第20号終わり)

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